極真空手について
極真空手とは
創始者・大山倍達(1923~1994)によって生み出された世界初の直接打撃制(寸止めではなく、また防具も付けない)の空手。
寸止めが全盛だった空手界に直接打撃制を提唱し、世界最強を目指すため自らが世界各地で修業を積み、その拳ひとすじの人生で確立した空手こそが極真カラテです。
その後も空手一筋に人生を賭け、世界124ヵ国に1200を超える公認道場を有し、その数1200万を超える会員を有し単独会派としては世界最大にまで発展するに至りました。
創始者・大山倍達が長く厳しい修行人生の中で確立した極真精神
「頭は低く目は高く、口慎んで心広く、孝を原点として他を益す」
を礎として、極真空手道を通じて人格の淘治と心身の鍛練をはかることで、社会貢献を遂行することを目的としています。
極真空手の定義
点を中心に円を描き線はそれに付随するものなり 空手は武道である
すべての武道は、いずれも厳しい自己鍛練を課し、その奥義を究めることによって人格形成をすることが目標です。
すなわち、人間としての正しい道を極めることを目指すものです。
極真の精神
極真とは、「千日をもって初心とし、万日をもって極みとする」という武道の格言から発した名称です。
完成はないと言われるほどの、厳しく険しい武道の真髄を極める意です。
また、極真会館の挨拶「押忍」の精神には、尊敬、感謝、忍耐という精神があります。
観空マーク
極真のシンボルマーク。
まん中の円を囲む四つの弧状の線は実はマークに現れていない円(がある)の一部である。
つまり、見えない円を含めると円は六つ(外周、内周、四つの弧がなす円)になる。
六つの円は世界の六大陸を示している。六大陸の輪が、極真のめざす「世界友好の架け橋」を象徴している。
道場訓
道場訓には極真空手を学ぶ上で最も大切な心構えが詰め込まれています。
創始者・大山倍達は、空手の修業は自分自身の心と身体を鍛え上げることこそが最終目的であると常に語っていました。
道場訓は大山総裁の空手観、人生観をまとめたもので、人として生きてゆく上でのヒントでもあります。
稽古の最後に全員で道場訓を唱和しますが、ただ言葉を追うだけでなく、道場訓のいわんとする意味をしっかりと理解しましょう。
一.吾々は心身を錬磨し確固不抜の心技を極めること
私たちは空手を修業する事で、自分自身の心と身体を鍛え、稽古に打ち込むことで、何ごとにも動じない、精神と技を完成させること。
一.吾々は武の神髄を極め機に発し感に敏なること
私たちは武道としての空手の道を徹底的に追究していくことで、どんな状況でも臨機応変に対処する力、
相手の心を理解し思いやりや優しさ、そしてどんなことにも素直に感動できる心を身につけること。
一.吾々は質実剛健を以って克己の精神を涵養すること
私たちは、けして自分を飾ることなく、いばることなく、心身ともに強く逞しく、それによって自分自身に打ち勝つ、強い心を養っていくこと。
一.吾々は礼節を重んじ長上を敬し粗暴の振舞ひを慎むこと
私たちは武道を学ぶことで、しっかりとした礼儀を身につけ、目上の人を敬う心を養い、乱暴な態度や行動をしないこと。
一.吾々は神仏を尊び謙譲の美徳を忘れざること
私たちは、神や仏を敬う心を忘れず、常にそう心がけることで、相手のことを大切にし、自分を謙遜する態度を身につくけること。
一.吾々は知性と体力とを向上させ事に臨んで過たざること
私たちは空手の修業を通じ、知性と体力をともに向上させていかなくてはなりません。それによって、どんな状況でも焦らず冷静に対処することができるようになること。
一.吾々は生涯の修行を空手の道に通じ極真の道を全うすること
私たちは武道としての空手の修業は一生かけて追い求め、一生を通じて極意に一歩でも近づこうとする姿勢、
それが極真空手の本義なのです。たとえ極真(道場)という場を離れても、その精神は生涯、続くものでなければなりません。